FRAGILE

083.茶化す

 夜も更けた23時近く。
 リビングのテーブルに事件の資料を並べて、新一は思案に耽っていた。
 どこかしっくりこないのは、何らかの証拠を見落としているからだろう。
 それがわかっているから、本来ならば部外秘となる調書を借りてきた。
 連日、ニュースを賑わせている殺人事件。警察も捜査に行き詰っているためか、新一の協力を歓迎している。探偵とはいえ、新一はまだ高校生。それを理由に渋い顔をする上層部連中もいるが、過去の実績をもって目を瞑ってくれているのだ。事件を解決できなければ、責められるのは警察のほうなのだから。
 刑事ドラマでは華々しく描かれているが、警察の捜査というものは本来地味なものだ。1つ1つ事実を集め、たくさんの可能性の中から無関係な線を消していく。そして、たった1つ残された真実に辿り着くのだ。
 それは、探偵とて同じこと。魔法で答えを知るわけではない。
 警察も探偵も、『感』と呼んでいるが、たくさんの事件を、たくさんの人を見てきたからこそ、ほんの僅かな違和感に気づくことができるだけだ。
 人は現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと願う現実しか見ない。
 かつて、カエサルはそう言った。
 この言葉には自分の都合のいいように現実をゆがめて理解してしまう可能性があるという示唆も含まれている。
 1つ1つのピースを正しくはめていかなければ、全体図は見えてこない。
 見落としていることが、あるはず。
 そう確信して、資料を読み進める。

 どこかで、何か異音がする。
 かなり集中していたからしばらくはその音に気づかなかったが、ようやくあれっと顔を上げた。
 玄関のチャイムが鳴っていた。
 何度も何度も連打されている。
 ちらりと時計を見ると、23時を過ぎている。
 こんな時間にやってきて、こんなぞんざいな態度をするのは、アイツしかいない。
 ・・・ったく。
 資料をそのままに、壁のインターホンを取る。
『工藤ー! いつまで待たせんのや!』
「・・・・・どちらさまで?」
 ひやりと絶対零度の冷たさで対応する。
『ちょお待て! オレや、オレ。服部や! ・・・って、お前わかっとるやろ?』
「非常識な時間に訪ねてきておいて、逆ギレするような知り合いはいない」
『遅くにすまん。入れてください。お願いします、工藤様』
 切実な声で必死に頼んでくる。
 まぁ、そうだろう。
 大阪から出てきた服部が他に宿を取っているとは思えない。野宿するにも季節が季節だ。この時間では今更戻ることもできない。今の時代はネットカフェなんかで高校生でも泊まることはできるのかもしれないが、下手をすれば通報されるご時勢だ。
「・・・今、開ける」
 結局、新一は不本意ながらも玄関へと向かうしかなかった。

「ったく。来るなら来るで、連絡のひとつも入れろよ」
「すまんすまん。携帯電池切れになってしもて。慌てて出てきたもんやから、充電器も忘れてきたんや」
 新一が貸した充電器にスマートホンを繋いだまま、和葉にメッセージを送っている。
 呆れつつも、平次が来た理由がなんとなくわかっていた。
 新一が関わっている事件について、執拗に尋ねてきた。今日は金曜日。月曜日が祝日で三連休となるから、それを利用して押しかけてきたのだろう。
 とりあえず温かいコーヒーでもと思い、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。風呂も電源を切ってしまっているから、バスルームに行って電源を入れた。客間も使えるようにしないとな・・・と、向かおうとして、立ち止まる。
 何でオレがここまで世話焼かなきゃいけないんだ?
 アイツが勝手に来たんだ。シーツと枕カバーを渡して自分でやらせればいい。
 憮然とキッチンへ戻ると、平次がマグカップを手にコーヒーを注いでいるところだった。
 あっと気づいて、平次の手からカップを奪う。
「なんや。オレのために作ったんやろ?」
「煩い」
 奪い取ったカップをシンクに置くと、食器棚から別のマグカップを取り出し改めてコーヒーを注いだ。
 そのカップを平次に渡し、置いていたカップは自分で取った。
「・・・意味わからん」
 何か言いたそうな平次を無視するようにリビングへと向かう。平次は大人しく後ろについてくる。
 リビングのテーブルには先ほど見ていた資料がそのままになっている。
 そして、その脇に新一が今持っているものと同じカップが置かれていた。
「工藤・・・。カップ、ここにあるやん」
 カップを並べて置くと、カチンとぶつかりあった。
 続き、続き・・・と、資料を手に取る。
 平次は向かい側に座ると、「ふーん・・・」とにやけた顔をした。
「・・・何だ?」
「なんも」
「言いたいことがあるなら言え」
「いや、別に。それ、お揃いのカップなんやなーって思っただけや」
 平次のにやにやが収まらない。
「ああ・・・。姉ちゃんが口つけたもんをオレに触らせたないっちゅーことか」
 図星で指摘されてうっと息を呑む。
 これだから、コイツは嫌いなんだ。
 同じ探偵をしているだけあって、些細なことに気づいてしまう。
「さよかさよか。二人で使て、毎回間接キッスしとるっちゅうわけや」
 あー、アホらし。
 そう言って、平次はコーヒーを飲んだ。
 確かにその通りだ。新一と蘭が使っているのは2個セットのマグカップ。ペアのマグカップだとあまりにもあからさまだからと、まったく同じものが2個。どちらが誰のという目印もない。つまり、蘭が使ったものを新一が使ったり、新一が使ったものを蘭が使ったりすることになる。
 使うごとに洗うのだから、間接キスもなにもないのだが。
 やはり、他の誰かが使うことには抵抗がある。
 だから、平次に手渡したのはお客用の6個セットのうちの1つだった。
「ほな、事件の再確認でもしよか?」
「お前の手を借りるつもりはない」
「これみよがしに資料広げといて、見るなっちゅうんかい」
「疲れただろ。寝ていいぜ」
「コーヒー飲ましといて、寝れるか」
 3連休のうち1日くらいはどこかへ行こうよと、蘭に言われていたのに。
 平次が来てしまっては、それも流れてしまうのか。
 いや、事件を解決させるまでは動こうとしないだろうから、さっさと事件を片づけて追い返してしまえばいいのか。
 あれこれ打算を巡らせて。
「わかった。じゃあ、さっさとやるぞ」
「おっしゃ。そうこんと!」
 パーカーの袖をまくると、新一が順番に並べた資料に目を通しはじめた。





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